うめでら・東持寺

東持寺タイトル

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東持寺の歴史

東持寺沿革

東持寺は、文亀三年(西暦1502年)上山川、原に同地の諏訪神社の別当寺として山川氏十一代朝貞によって建立された。その後、元和元年(西暦1615年)山川城には水野忠元が入城し、領主となり、寛永三年(西暦1626年)に当山は、現在地に移山し、現在に至っている。

書院前の庭園

境内諸堂の三宝殿内には正和大板碑(西暦1317年)建立が祀られ市の文化財である。薬師堂は笠間藩主牧野成貞の寄進建立である。

摂受院(大書院)は正安年間(西暦1299年)弘頓法印開く新義真言宗の寺であったが、新宿に在って山川氏の祈願所の為ここに移築された(昭和45年)。

又、境内には天神宮があり旧結城寺より縁あって移された境内は一面梅林になっているので「うめでら」と愛称される。

中世武家屋敷跡

武家屋敷の堀

現在の境内は、中世武家屋敷跡で市の文化財史跡に指定されている。この地は、百間四面、凡そ壱万坪あり、周囲は土塁の堀がめぐらされている山川氏の居館跡であった。結城初代朝光の第三子「重光」は、山川庄の地頭に任ぜられて十代にわたって住んだ所であるが、永正十一年(西暦1514年)に十一代朝貞は新宿に綾戸城(結城市山川新宿)を築いて移った。

山川氏は十六代朝貞の時、宗家結城十八代の秀康と共に慶長六年(西暦1601年)越前福井城(福井県)に転封となる。そして結城氏の旧領は、大部分幕府直轄領になって、代官伊奈備前守忠次が就任し交代もあって九十八年の間は天領とされた、この屋敷にも代官が駐在したので代官屋敷とも言われる。

昭和39年 9月 1日(結城市指定史跡登録)

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